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★人間にしかできない仕事とは?
よく「AIに奪われない仕事をしろ」と言われるが、実際それはどんな仕事なのか?
答えは簡単。「問いを立てる仕事」だ。
AIは計算やデータ分析にはめっぽう強い。
だが、「なぜこの分析をするのか?」「このプロジェクトの目的は正しいか?」という根本的な疑問を投げかけることはできない。
たとえば「売上を5%伸ばす方法を考えろ」と言われたとき、AIは過去データを基に有効な施策を出すだろう。
でも、「そもそも売上を伸ばす必要があるのか?」と問うのは、AIには不可能だ。
あるいは、「それって社会に本当に必要?」と問い返すこと。これも人間にしかできない。
本当に社会を変えたり、人の心を動かす提案というのは、与えられた命題の外側から飛んでくる。
言い換えれば、人間の仕事とは、「正しい答え」を出すことではなく、「本当に問うべき問い」を探すことにある。
★「ロジカル信仰」が私たちを思考停止にする
「ちゃんと論理的に説明してくれる?」
この一言で、あなたの“直感”はすべて黙殺される。
今の社会は、ロジックさえ通っていればすべて許される“ロジカル信仰”の時代。
でも実際はどうか?
たとえば、A社の会議では毎週「KPIの進捗」を延々と確認する。
達成率、グラフ、チャート…資料は完璧。でも、そこに“なぜこのKPIなのか?”という問いは存在しない。
実はこのKPI、3年前の前任者が思いつきで設定したもの。
それを誰も疑わずに運用し続けている。これって、思考停止じゃないだろうか。
論理を疑えと言っているのではない。
「ロジカルかどうか」ではなく「ロジックの前提は何か?」を問えという話だ。
整った論理を装い、異論を封じ込める。これは現代版の“新しい独裁”だとさえ思う。
★知性とは問いを立てる力、美意識とは違和感を察知する力
「問いを立てる力」が知性であるなら、「違和感を察知する力」は美意識だ。
会議で「これって変じゃないですかね?」とぽつりとつぶやける人。
数字やロジックでは説明できない感覚。でも、その感覚こそが未来の兆候であることは多い。
美意識とは、デザインやアートの話ではない。
「それ、なんかダサくない?」
「誰もツッコまないけど、おかしいよね?」
その一言を言えるかどうかが、あなたの価値になる。
大企業では、この美意識が徹底的に抑圧される。「和を乱すな」「前例がない」
でもそれに屈していたら、AIより先に、自分の思考が終わってしまう。
★「正しく見えること」が「正しいこと」を殺す
整った資料。洗練されたスライド。誰もが納得するロジック。
そんなプレゼンが上司にウケて、企画は通る。でも実行すると、現場は大混乱。
逆に、泥臭くてプレゼンも下手。でも現場の課題に刺さる提案は却下される。
なぜこんなことが起こるのか?
答えは、「正しく見えること」が意思決定を支配しているから。
“整っている”かどうかは、判断を早めるが、必ずしも正しさを保証しない。
その裏で、根本的に正しいことが見落とされ、無視され、殺されていく。
組織が形骸化していくのは、この“形式美”の優位が招く最大の弊害だ。
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