「静かな退職」やってみたwww

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★静かな退職とは

静かな退職とは
「仕事で必要以上に頑張ることをやめる」
「指示された以上の仕事はしない」
…っていう仕事への情熱や創意工夫を捨てた働き方です。
ウォールストリートジャーナルで取り上げられて、欧米を中心に急速に広がりを見せているムーブメントです。

参考「静かな退職ブームは幸福とは何かを問うている」

★ハッスルカルチャーへの反動

かつて全力で仕事を頑張る「ハッスルカルチャー」という志向がありました。それは仕事での成功を自身のアイデンティティに強く結び付ける状態、つまり仕事での成功こそが人生の大事な生きがいだ、という意識です。

しかし、労働者・従業員に限って言及するなら、

「仕事で成功すれば自己実現成功↑」「逆に仕事で上手くいかなければ自己実現失敗↓」というのは割の合わない賭けになってきました。従業員はどんな仕事を誰とやるのか選べず裁量も少ないから。ヘタすると最初から負け戦だったり、職場や会社の方針に共感できないことも多い。つまり、裁量も与えられず不本意な仕事に自身の生きがいを重ねられなくなるのは当然だと思う。「別に仕事が上手くいかなくっても、オレは困らんし」「言われた通りやってりゃ、給料はもらえるしね」といったところでしょう。

過去、年功序列が色濃い日本の会社では“頑張る・我慢する”だけである一定の地位と給与と安定が保証されていたいました。それなら仕事を生きがいとみなしてもほぼ確実に成功が手に入りました。しかし終身雇用が崩壊し実力主義の社会になりました。日本経済全体も静かに下降傾向です。このとき個人が仕事で成功する確立も低くなりますね。すると成功が保証されない仕事に人生を賭けるひとが減ります、これはごく自然なことです。

むしろ、いままでハッスルカルチャーが続いていた方が不思議。「努力と我慢は美徳である」という儒教的なしつけや「オレも頑張ってるんだからお前もやれよ」という同調圧力の賜物でしょうか。

★私もかつてはハッスルカルチャーの1人

私自身、数年前まではハッスルカルチャーのジャパニーズサラリーマンでした。なにか取りつかれたように必死に働いてました。

なんであんなに働いていたんだろう…?

私の場合、理由は単純でした。
職場の仲間のためです。特に上司のため。

私の上司は同い年。かつては同僚として対等にひとつのプロジェクトを担当した友人です。優秀な彼は順当に出世し気が付くと私の上司でした。でも彼の昇格で上下関係にはなってしまいましたが、互いに信頼できる関係で働けるのは私にとって本当に心地よかった。しかし、あるときかなりの炎上プロジェクトを我々が担当することになりました。火消し役として梯子を外された状態です。連日多くの関連部署から無茶な要求を受けます。業務量も業務内容も無理ゲーの様相を呈しました。そんななか管理職である上司はチームの盾になって被弾し、火ダルマになり、心身ともにみるみる疲弊していきました。

そんな上司を見てそのとき私は自分が情けなかった。「かつて同じ立場だった友人が責任を負わされて火ダルマになっている。これはオレのせいだ…自分がふがいないせいだ…」って。

せめて私にできることをという思いで、なんとか彼を支えようと必死でした。最前線で火ダルマになっている上司の隣で私も援護射撃を買ってでるわけです。普通そうしますよね、上司だけど友人だもの。結果2人とも火ダルマです。投げ出すことも逃げることも許されず、とにかく必死。もうあれは仕事ではなかった、我々が生き残るための戦闘でした

参考:デラえもんが死にかけて復活した話

その戦いは約3年ほど続きました。幸いにしてプロジェクトは軟着陸し、上司も私も、なんとか生き残ることができました。周囲にはプロジェクトは成功したように見えたかもしれません。なんなら「やればできんじゃん、おせーよ」って思われてたことでしょう。

ただ、心身ともに崖っぷちまで追い込まれましたことで、心に癒えない傷が残りました、少なくとも私には。

会社の主力商品全般にとってマストの技術課題でした。失敗すると法律的に販売の認可が取れなくなります、そうなれば売上ゼロです。会社の浮沈を賭けたプロジェクトだった。それを死に物狂いで片付けたんです、会社の主力事業の首の皮をなんとかつないだんです。「オレたちが会社を崖っぷちから救った」という自負はありました。それだけの仕事をやり遂げたんです。

しかし、どうでしょう。
このとき私は達成感を感じるはずでは…?
生きがいを成就したんです。
幸福感を享受できるはずだったんじゃないの…?

現実は違いました。

胸に湧いたのは達成感ではなく、理不尽な目に遭わされた恨みの感情でした。

この仕事でスキルアップもしたしタフにもなった、成長したという実感もあります。
しかし、それは我々自身が生き残るために自ら獲得したものです。会社がくれたものじゃない。「会社が成長の機会を与えてくれた」「挑戦させてくれてありがとう!」…なんてポジティブには受け止められない。

胸に渦巻いたのはすごく暗い感情です。

「利益のためには、会社は平気でオレたちを犠牲にする」

「オレたちは会社に殺されかけた」という恨みです。

★静かな退職へ

「文字通り“命がけ”で会社に貢献したのに報われないんだ」と感じたとき、仕事に生きがいを感じろという方が無理です。「オレは会社に殺されかけた」という暗い感情を抱きつつ会社に貢献するなんて無理ですよ。成人君主じゃない。

こうして「静かな退職」が首をもたげるわけです。

「会社がオレを都合よく消費するなら、オレも会社を利用してやる。」

一応業務指示には従いますよ、会社員ですから。でもそれ以上の成果は期待しないでください。なぜかって?成果出せば出すほど仕事載せてくるの知ってますからね。限界まで詰めてくるやん?もう、あんな目に遭うのはこりごりですから。

…働かないオジサンの一丁上がりです。

★「静かな退職」メリット3選

静かな退職をやってみて思うところは

1.心身が健康になります
いつのまにか普通になってますが、そのハッスルワークは無自覚に心身を蝕んでます。一度やめてみてください。1ヶ月ほどするといっきに頭が冴えてきます。いままで酔っぱらってたんじゃないかと思うほどです。
2.生産性が向上します
 今まで朦朧とした頭で指示どおりやっつけていた仕事ですが、頭が冴えてくると優先順位を点けられるようになります。「何をどこまでやればいいか」と「何をやらなくていいか」整理できます。会社の仕事なんて無駄だらけです。冴えた頭で必要な仕事だけに注力すれば楽勝で片付きます。
3.自由への足がかりができます
これまで「定年までサラリーマンか…」と思考停止していました。他に選択肢があるなんて想像もしてなかった。冷静になって冴えた頭を働かせましょう。人生にはもっともっと選択肢があります。

多くのサラリーマンが仕事に忙殺されて思考停止状態かもしません。考えているつもりでも、朦朧とした頭では建設的な考察ができません。まずは冴えた脳ミソが必要です。それを手にいれてみませんか。

★「静かな退職」デメリット3選

当然デメリットもあります。

1.会社での成長は期待できない
指示どおりの仕事しかしない、ではスキルの幅も深さも成長はあまり望めないですね。
2.会社での人間関係はあきらめざるを得ない
他の社員は皆ハッスル中です。一方で静かな退職状態のあなたは異端児です。相当な同調圧力にさらされると思います。「オレたちこんなに頑張ってるのに、お前だけ楽するなんて許せねぇ」と圧を受け続けることになります。
3.会社での人事評価は期待できない
静かな退職とはいえきちんと成果は上げているはずです。しかしそれに見合う評価を得ることは難しいかもしれません。頑張っている人、残業している人が評価される傾向があるからです。上司だって感情の生き物ですから。

★まとめ

静かな退職…ひと言でいえば「このまま会社に命じられるままに頑張ってもそこに生きがいは期待できない」って気づいちゃった人たちのムーブメントと言えます。

しかし、それは持続性がない働き方です。成長しない&人間関係も広がらないでは長続きしない。「あと数年で退職する/転職する!」などの期間限定でない限りはオススメできない働き方だと思います。

静かな退職って、やはり後ろ向きな時間の使い方だと思います。
会社に期待して裏切られた結果、やる気が枯れちゃった人の終着点とも言えるかも知れません。

そんなやる気の枯れる事態を避けるには、「事業貢献すれば会社は報いてくれる」という期待は捨てることです。過剰な期待を捨てて「会社の業務を通じて自分がスキルアップをする」という自己投資として取り組むのがよいかと思います。

★あとがき

で、デラえもんはどうすんだよ?ってことですよね。

私自身は「静かな退職」モードを実践中です。すみません。
でも、もう会社に期待するのは給与だけです。

あまり褒められた就業姿勢ではないことも自覚していますが、こちらもしたたかに立ち回らないと搾取される一方です。必要以上の道徳観や潔癖症は足かせになると思ってます。会社という組織に対しては持ちつ持たれつだと割り切ることにしました。

長くてもあと3年です。その間に会社の外に収入の柱と資産形成をして退社する計画です。

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