なぜAGIの時代に「幸福」を考えなければいけないのか(後編)

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第3章:言語化できる願望は、もはや消費されつくしている

AGIの登場で、私たちは「あらゆる願望」がアルゴリズムに変換される時代に入りました。 「〇〇がしたい」「△△が欲しい」といったニーズは、AIにとっては“ただのコマンド”です。 そこに創造性はなく、ましてや人間らしさなんて1ビットも存在しません。

でも、よく考えてみてください。本当に私たちの願望ってそんなにシンプルでしたか? 「理由はわからないけど、なぜか心が動く」といった、うまく言葉にできない感情。 それこそが人間の特権であり、幸福の源泉ではなかったでしょうか。

つまり、“言語化できる願望”はすでにAIに奪われているのです。 その先にある、“言語化しきれないモヤモヤ”にこそ、人間の本当の価値が眠っている。 FIREも、旅も、創作も――合理性では説明しきれない「意味の旅」がそこにはあります。

第4章:合理性の外側にある幸福

今、あらゆる行動が「効率」と「最適化」によって評価されています。 食べ物も仕事も人間関係も、最短ルートで“正解”にたどり着くことが善とされる。 けれども、その先に“幸福”はあるのでしょうか?

山奥でテントを張って眠る、冷たい風の中で飲むインスタントコーヒーがやけにうまい―― それは何かに役立つわけでもなく、生産性があるわけでもない。 でも、心が震えるような感覚がそこにはある

AGIがいくら賢くなっても、その“揺さぶり”を感じ取ることはできません。 なぜならそれは「合理性の外側」にあるからです。 無駄で、曖昧で、非効率で、でもどうしようもなく“人間らしい”。 そんな行動にこそ、幸福が宿ると思っています。

第5章:人間にしかない「無意味」の価値

AGIがどれだけ発達しても、「意味のないことに命を燃やす人間」は消えません。 崖を登り、世界の果てまでバイクを走らせ、誰に見せるでもない詩を書き続ける。 それらは社会的には“無意味”かもしれません。

けれども、「意味がない」という理由だけで排除されたら、人間は“人間であること”をやめてしまいます。 私たちは、意味のないものにこそ、魂を感じる生き物なのです。 AGIの時代だからこそ、その「無意味な営み」に光を当てる必要があります。

FIREもまた、資産形成の効率戦略ではなく、「無意味と思える自由な時間」をどれだけ生きられるか、という問いに変わりつつあります。 “自由にやってるだけ”のようでいて、そこには明確な反逆がある。 “無意味”の中に“価値”を見いだせるかどうか。 それが、AGI時代の人間の分岐点になるのかもしれません。

おわりに:思考すること、それが人間の希望

最後にひとつ、問いたいことがあります。 「あなたは、なぜ生きているのか」と。 この問いに、誰かの借り物ではない、自分自身の言葉で答えられますか?

AGIがあらゆる問題を“代わりに考えてくれる”時代に、私たちはあえて思考し続ける必要があります。 それは苦しく、面倒で、曖昧で、報われない営みです。 けれども、それをやめてしまったら、私たちは「幸福が何か」を他人に決められる存在になってしまう。

FIREとは、決して“働かない”という表層的なライフスタイルではありません。 自分の人生を、自分の頭で考え続けるための選択肢です。 AGIの時代だからこそ、人間にしかできない問い――「幸福とは何か」を考え続けましょう。


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