◆まえがき
学歴コンプレックスって言葉があります。
かなり少なくなったとはいえ、依然として最終学歴は社会に出てからもその人のスペックのひとつとして扱われたりします。「あいつ東大卒なの!?マジで?」とか「オレFラン卒だし」とか。
過去に学歴差別など好ましくない経験をした人の中には根深く劣等感を抱えてしまっている人もおられるでしょう。 いわゆるアンチ学歴の考察はよく目にします。「学歴差別は良くない!」「学歴があっても社会では通用しないぞ」など、学歴に対して否定的な意見も多いですね。いずれも納得できる考察ばかり。
ただ、一方で高学歴側はその学歴をどうとらえているか、あまり見聞きしないと思いませんか。彼らは常に他人の学歴コンプレックスにさらされています。それはそれで肩身の狭い思いをしていたりします。と同時に、コンプレックスを外から俯瞰することができると感じています。
そこで、高学歴側の視点で学歴をどう捉えているか、どう考えているか、少し考察してみたいと思います。「高学歴野郎の上から目線なんて不快だ、知りたくもない」と思われるかもしれません。たしかにごもっとも、不快な思いをさせてしまうかもしれません。その場合は平にご容赦ください。
ただ、コンプレックスの“あり”対“なし”の考え方の比較ができるかと思い、テーマとして取り上げてみました。もし最後まで読んで頂ければ、コンプレックスとどう付き合うか、不要なマインドブロックをどう突破するか、ひょっとすると建設的な気づきが得られるかもしれません。もしよければお付き合いください。
では、本編行ってみましょう。
※本来「コンプレックス」はもっと広義の意味がありますが、日本では暗黙に「劣等感」を示します。学歴コンプレックスはその典型例で「学歴劣等感」を意味します。
◆学歴逆差別って意外とツライ
突然ですが、デラえもんは京都大学卒です。
いきなりこう書くと感じ悪いですよね。 でも嫌味でも何でもないつもりです、シンプルな事実。
なのに、聞いた相手には気持ちにさざ波が立ったかもしれません。
「スゴイな」
「うらやましいな」
「なんだよマウントか?」
「オレを見下してんのか?」
残念ながら、いつも、あまりポジティブな反応は帰って来ません。それは学歴以外の私の人格や対人能力も影響してるかもしれませんが。(泣)
ただ、ネガティブな反応はごく自然なことかもしれません。人は自分が持っていないものを持っている人を前にすると妬みの感情が湧くのはごく自然です。たとえば誰だってお金持ちはシンプルにうらやましいハズ。それといっしょです。
ただ、残念なのは意図せずに劣等感を刺激してしまう点です。「学歴なんて全く気にしません」と心底思っている人には問題ないのですが、学歴に対して劣等感を抱えている人もいます。そういった人にとっては他人の高学歴はネガティブな感情を刺激してしまう場合があります。
劣等感を刺激してお互い良いことはありません。残念ながらそれだけで敬遠したり、あるいは攻撃的になる人もいます。
その典型的なセリフが「お前、京大卒なのにそんなことも知らんのか!?」です。もうこのセリフ聞き飽きました。もう百人に千回言われました。いわゆる「学歴逆差別」です。
ただシンプルに自分の卒業校を口にするだけで敬遠されたり攻撃されたりするのって意外とツライものです。普通に言うのはもちろんダメ、遠慮がちに言っても嫌味だし、冗談っぽくいっても笑いにならない。正解がありません。
…なんていう泣き言すら嫌味に聞こえているかもしれません。「贅沢な悩みだなオイ」って。 (泣)
それゆえ、高学歴の者はいつも逆差別を通じて学歴コンプレックスにさらされる羽目になるのです。
◆学歴なんて他人に刷り込まれた価値観
でも、高学歴と言っても大学受験の一発勝負で少し人よりリードしただけ。
受験勉強なんて所詮「知ってるor知らないゲーム」です。ただの「やり込みゲー」です。学歴は人の能力の良し悪しを測る尺度には全然なりません。
※参考:デラえもんのお受験 https://dera-emon-2-side-fire.com/デラえもん%E3%80%80高校生/
学歴コンプレックスが生じる原因は、学歴という肩書を持つ者と持たざる者を区別して比べるからです。だけど、その差は本当に些細です。小・中・高でどれだけ詰込み教育に時間投資したか、と言うだけのことです。これは受験勉強というやり込みゲーをある程度やった私の実感です。本当は敬遠したり攻撃するほど異質なものではないです。
考えてもみて下さい、クイズ王みたいな一流の物知りでもGoogle先生にかないません。天才数学者もスーパーコンピュータの処理能力には足元にも及びません。現代では知識や処理能力にはもはや価値は無くなりました。うらやむほどの差なんてないのです。
学歴なんて「ちょっと足が速いよ」とか「絵描くの得意だよ」とか、そんな特徴のひとつひとつにすぎません。
◆コンプレックスから自由になれた
ただ唯一デラえもんが高学歴でよかったことは、そんな些細な差でコンプレックスを抱かなくてすんだことです.コンプレックスを外から観察することができました。つまりコンプレックスという感情を俯瞰できるようになった気がします。
持つ者と持たざる者の比較の代表例は「お金」です。デラえもんは元来お金持ちに対して人一倍コンプレックスが強い。かつては「なんかお金持ちって卑しい」とか「お金!お金!って言うの恥ずかしい」とか謎の先入観ゴリゴリでした。
※参照https://dera-emon-2-side-fire.com/デラえもん%E3%80%80中学時代/
でも、ある時思ったんです。お金持ちってそんな敬遠する対象なんだろうか?お金もちコンプレックスが原因で自ら選択肢を狭めてないだろうか?と。その結果、あえてお金を避けるような行動をしている自分に気づいたんです。
高学歴の私にとっては、学歴コンプレックスなんて何の意味もない感情です。じゃ、お金持ちにとっては、金持ちコンプレックスもきっと無駄なマインドブロックなんじゃなかろうか、と考えたわけです。
デラえもん、今はお金持ちを見たり聞いたりすると死ぬほどうらやましいです。お金めっちゃ欲しいです。でも、今ではお金持ちを敬遠したり敵視する気持ちは全くありません。今はネガティブな気持ちは払拭できました。それどころか素直に学んでできるだけ吸収してオレも金持ちになってやる!とギラギラしていますし、めっちゃ尊敬してます。(笑)
◆まとめ「コンプレックスは自由への足かせ」
先天的に学歴コンプレックスな人はいません。社会から後天的に不幸にして刷り込まれてしまったものです。でも、それは他人の価値観です。お互いになにもいいことはありません。それならコンプレックスというマインドブロックを解いてみませんか。つまらない足かせが外れればもっと自由に生きられるはず。
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