まえがき「自分が転職したら迷惑かけてしまう?」
「自分が転職したら周りに迷惑かかる」って悩んでる人へ
よく聞くセリフです。そうかもしれません。で、その時よく言われるのが
「大丈夫、そんなの迷惑なんかじゃないよ」です。
…これには少し違和感があります。
残された会社的には、全然大丈夫じゃないです。大事な社員が突然抜けると現場は大混乱します。大きな損失です。でも、
「会社の混乱なんてあなたが気にすることではない」ってのが正解だと思います。
デラえもん自身、過去に「自分が抜けたら仲間が困るから…」なんて理由でせっかくもらった転職の内定を土壇場で辞退したことがあります。もうめっちゃ後悔してます。また逆に自分の部下が急に転職してめっちゃ困ったこともあります。
そんなデラえもんが思うに、転職など人生の大きな選択において会社の混乱や職場同僚がどう思うかなんて気にしてちゃダメです。冷静にご自身が欲しいものを見つめ直して、勇気をもって掴みに行って欲しいと思っています。
特に今は急速に価値観が変化し働き方が多様化しています。余計なマインドブロックを払拭して、自由に働き方を選択できるきっかけになれないかなと思いブログに書いてみました。
では本編いってみましょう。
過去「頑張ることに価値があった」
誰かの困りごとを解決するってのが対価を得るための基本ですが、昔は、市場でのニーズがシンプルでした。
例) 高性能、高機能、低価格、軽量、コンパクト、などなど。
ニーズがシンプルなので、あとはそれを解決するだけです。したがって労働時間と成果は比較的比例していました。「頑張ればできる」ので、勤続年数や労働時間に比例して支払われる給与体系があまり違和感なく受け入れられていたのでしょう。
また多くの大企業が“課題を解決する”効率を上げることで発展していったわけです。
現代「何を頑張るか、課題を見つけることに価値のある時代」
そうやって市場のあらゆる困りごとを解決してきたので、もう現代では市場に解決すべき困りごとが残ってません。やればできる仕事なんて残ってないんです。
このとき、課題を解決することに特化した会社は利益を上げられません。だって解くべき課題を見つけられないのですから。
富の源泉は課題を解くことではなく、課題を見つける能力になったのです。
※参考:https://dera-emon-2-side-fire.com/失われた30年「経済横ばい」ってウソでしょ/
ではこのとき、社員の待遇はどう変化したのでしょう。
従来の年功序列の給与体系では社員は働かない
過去:やればできる課題を頑張って解決する社員が評価されました。
現代:課題を見つけて目標設定し仕事を設計できる社員が業績に貢献するようになりました。
つまり現代は、社員それぞれの成果は業務時間や過去の経験や頑張りに比例しません。さらに、終身雇用も崩壊し始めており、もう年功序列は給与体制として全くもって不適切です。
しかし、多くの会社が今も年功序列の社内評価方法から脱却できていません。未だ働き方や給与体系の見直しが間に合わず社員の納得性は下がる一方です。
じゃ、このとき会社員個人はどうすればよいのでしょうか。会社の仕組みが改善するのを待つ…なんてありえませんよね。
そこで「給料・安定・スキルアップ・自己実現など」ご自身が会社組織に何を期待するかをいちど整理するのが良いと思います。整理してこの会社にとどまるべきか、とどまるならどのように会社と付き合うかやることやらないことや優先順位をつけて自分の働き方を変えていく必要があると思います。
同じ職場でも仕事に対する姿勢は人それぞれです
たとえば私の場合、
・給料:短期的な給料は必要
・安定:定年までの安定性は期待しない、むしろ早くFIREしたい。
・スキル:これ以上は社内でしか通用しないようなスキルアップは望まない。
・自己実現:出世欲も会社で達成したい成果もないので、これも会社には期待していない。
ただ、会社や上司に昭和の価値観を刷り込まれて、不自由で不本意なサラリーマン人生に甘んじている職場仲間を見ると不憫でなりません。これは妙な正義感ではなく、彼らは過去の自分を見ているようで不憫でならないのです。彼らを少しでも自由に生きられるように、なにかきっかけを提供できれば…なんて思ったりします。しかし、そもそも自分自身もしがないサラリーマン、周囲のみんなの自由を願うのは私自身が自由になってからにします。
…ってことは、私自身会社に期待することはひとつ。目先の数年間の給料だけです。これを最低限の労力と時間投資で獲得するのが私の働き方として適切!ということです。
では、「私は給料を現状維持できるギリギリ最低限の仕事しかしません!」と言ったらどうなるでしょう。100%職場で総スカンを食らうでしょうね。
でもちょっと待ってください、それおかしくないですか?
たしかに、この働き方は会社にとっては持続可能ではありません。社員全員が給料をもらえるギリギリ最低限の仕事しかしない、なんて言い出すと業績が一気に傾くかもしれません。職場では「お前だけ自分勝手に楽して給料もらおうなんてズルいぞ」と言われそうですね。
ここで問題です。
会社の業績が傾くのはあなたの責任でしょうか。
ここが私にとってひとつの悩みどころでした。
たとえばあなたはガレー船の船漕ぎだとします。
↓こんな船の船底でひたすらオールを漕いでいます。
そこで、あなたがサボると船は目的地に着けないかもしれません。この場合、目的地に着けないのはあなたの責任でしょうか?
答えはNoです。
あなたは責任を感じる必要はありません。あなたは真っ当な報酬が得られないから漕ぐのをやめただけ。責任は十分な報酬を支払わない船長にあります。
また、周りの船漕ぎ仲間はあなたを責めるでしょう「オレ達も頑張ってるんだからお前も全力で漕げよ!」…この主張は正しいでしょうか?
答えはやはりNoです。
たとえ仲間のセリフでも耳を貸す必要はありません。仲間が必死に漕いでいる理由は分かりませんが、あなたが同調圧力に負けて全力で漕いだとしても、得られるのはちょっとした仲間意識と船長の目標達成だけです。あなたは適切な報酬は手に入らないどころか、今後もこの苦役が続きます。
つまり、社員が100人いれば、生き方や価値観も100とおりです。会社が支払う報酬や提供する価値が全社員のニーズを満足させるなんてことはありえません。だから、例え同じ職場でも仕事に向き合う姿勢が異なるのはごく自然なことです。ヘンな遠慮も要りません、堂々と自分なりの姿勢で仕事に臨んでいいんです。
あとがき
そうは言っても感情的には割りきりるのが難しいですね。気持ちはよく分かります。私も職場には戦友と呼べるぐらいの仲間もいますし、彼らをまえにして自分だけ「イチ抜けた」と言うのはとっても気が引けます。心が揺らぎます。しかし、そこは感情に流されてはいけないと思っています。同調圧力に屈して他人の価値観で人生を歩むと将来絶対に後悔します。勇気をもって自分の本当の気持ちに従って行動してほしいと思います。
デラえもんは、 過去にいちど転職をためらったことがあります。「私が辞めたら職場の仲間が困るから」なんていう理由で、せっかくもらった内定を土壇場で辞退してしまいました。 でも今はとても後悔しています。今思えば、あれは仲間のためではなく自分のため、自分のナゾの罪悪感・後ろめたさへの慰めだったと思っています。 それ以来、もう他人を理由に自分の選択を変えるようなマネはしないでおこうと決めました。 もう同じ過ちはしません。
大きな決断をするとき、いろんな人がいろんなことを言います、さまざまな感情が湧きます。気持ちがグラグラ揺すられることでしょう。でも冷静に判断してください。他人の価値観に流されてはいけません。安易な方に流されないよう踏みとどまってください。あなたが最も欲しいものはなんですか、目的はなんですか。冷静に決断し恐れずに実行しましょう。
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