まえがき「会社イヤだからFIRE !」…ってちょっと短絡的かも
「FIRE!」流行ってますよね。デラえもんもその流行りに乗っかって「会社辞めてやる!」と調子づいてます。でも、一旦冷静になりましょう、オレ。仮に会社勢いで辞めたとして次は何を目指すの?
つまり冷静に現状分析してから、次のアクションを決めようというお話です。
なぜFIREしたいのか? 正直に言いましょう。「会社が嫌だからです!」別に崇高な夢がある訳でも、意識高い系の志がある訳でもないです。「とにかく会社が嫌なんです」
ただここで注意したほうがよさそうです。経験上「ここが嫌だから他へいく」という選択はうまくいかないことが多いです。「会社員の何が嫌なのか」を具体的に掘り下げて自覚して、その元凶を取り除くように行動したいと思います。それが結果として私のFIREになるのかもしれません。
それでは本編行ってみましょう
自己分析1「会社員のなにがそんなにイヤなんやろ」
会社員という働き方に対する不満は人それぞれ、いろんな理由があがると思います。
自由がない
・働く場所を選べない
・働く時間を選べない
・働く人間関係を選べない
給料が上がらない
・どんなに成果出しても給料は上がらない
・逆に安定している
やり甲斐がない
・業務が細分化されて、自分の成果を実感しづらい
デラえもんの場合は?
比較的ホワイトな会社で自由はないですが安定した給料をもらえて待遇は恵まれてる方かもしれません。実際に5年前までは会社員としての生き方に決定的な不満はありませんでした。でも、あるきっかけで考え方が変わりました。仕事のやり甲斐の部分でどうにも納得出来ず、毎日が苦痛になりました。苦痛すぎてFIREを目指す決心をしたのですが、今回はその考え方の変化と心の動きをお伝えしようと思います。
自己分析2「仕事を効率化するために“仕事の本質”に着目するクセをつけた 」
デラえもんはかつて膨大な業務量に忙殺されそうになりました
かつては上司の指示に従い、職場で期待される役割は率先して引き受け、目の前の仕事(っぽいもの)は片っ端から処理し続けました。我ながら模範的な会社員だったと思います(笑)
そしたら、どんどん仕事が自分に集まってくる。会社ってそういうシステムです。やればやるほど仕事って集まってくる。いつのまにか残業50時間/月が常態化し、毎日トイレに行く暇もないほどフルスロットルで働くようになりました。流れに身を任せていると、労働基準法に抵触するか、ビョーキになるか、どっちかのリミットに達するまで仕事を詰め込まれます。
これはヤバい、いつまでも続かない、心身ぶっ壊れる。
そこで「やった方がよいことはやらない」と決めて、業務量を絞り込む
そこで、デラえもん、仕事のやり方を意識的に変えることにしました。
「“やった方がよい”はやらない作戦」 です。
意味のない作業は捨てるようにしたんです。
★デラえもん「やらないことリスト」 ・「やった方がいいこと」はやらない ・自分の役割以外には口出さない ・判断を左右しない要素は考えない ・価値観の違う人を説得しない ・CCのメールは読まない ・CCの会議案内は出席しない ・長文メールは読まない
おかげで会社での作業量はゴッソリ減って労働生産性は向上し毎日定時で帰れるようになりました。危うく心身ともに壊れるところでしたが、運良く生き残ることができました。
詳しくはこちら → デラえもん「やらないことリスト」
自己分析3「仕事の本質って何?って追求すると、会社員という働き方は納得できない。」
副作用として社内での業務の無駄が目につくようになりました。
それ以来、やった方がいいことは全部やめて“仕事の本質は?”という視点で会社の業務を俯瞰するようになった訳です。その結果、業務量がゴッソリ減ったのですが、一方で副作用もありました。
いつも「これって意味あるの?」と自問するクセがついてしまったんです。
会社での業務って意味のないことばかりです。
・意味のないミーティング
・意味のないメール連絡
・意味のない書類とその承認
・意味のない社内ルールとその管理
・社員間のイジメや足の引っ張り合いとその仲裁
…などなど、日々の業務で無駄が目につくようになりました。いままで盲目的にこなしていた作業も、片っ端から嫌気がさしてきます。「オレはこんなことに心身をすり減らすのか?それって意味があるのか?」という気持ちが抑えられなくなってしまいました。
無駄に見えたのは自分の日々の業務だけではありませんでした。
職場の業務方針や会社方針までどんどん無駄が目につくようになりました。
会社員としての働き方が納得できなくなった。
私は自動車メーカーでエンジンを開発しています。エンジンの燃費UPは大事なテーマ。ときには、0.5%の燃費向上のために心身ともに限界までプッシュします。今まではそれが開発者の本分だ!と信じて心血を注いでぎました。
しかし、「これってホントに意味あるのか」という視点で会社や社会を俯瞰するようになると景色が変わってきます。
我々社員が命がけで削りだした「燃費0.5%」って、どんな意味があるんだろう?
・これは本当にお客様の期待していることか? ・心身擦り減らした開発者はきちんと報われるのか? ・そもそもこれで会社は儲かるのか? ・本当に地球の温暖化を食い止められるのか? ・もっと投資対効果が大きい経済活動があるんじゃないのか? ・社員個人や会社や社会にとって本当に意味のある活動なのか? ・我々の仕事は誰の役に立ってるのか?
エンジンの開発に意味がないとは思わない。しかし、投じている開発費・時間・設備と、なにより社員の犠牲に見合うだけの価値がある行為なんでしょうか?
でもまぁ、納得できない仕事でも、デラえもん個人の仕事なら甘んじて引き受けますよ、会社員だし。でも、
・自分でも到底納得できない業務命令を部下にするのはツライです。 ・うつむいて震えながら限界を訴えている部下を見るのはツライです。 ・そんな部下には「もう頑張らなくてもいいよ」と言ってあげたい。 ・なのに「もうちょっと一緒に頑張ろう」としか言えないのがほんとうにツライです。 ・優秀な部下が価値のない労役で心が腐っていくのを見るのがツライです。
いくら仕事でも、これは心情的に受け入れがたい。
これでもデラえもん、少しは抵抗したんです。
会社全体は変えられなくても、自分のグループだけは救いたい。無駄な雑務や労役は減らして生産的な開発業務に専念できる環境を実現したい。あの手この手で仕事のやり方を変えようとしました。
こんなこともありました。
毎日毎日どうでもいい実験業務に忙殺されている社員を助けたくて開発プロセスの改革を企画しました。どうでもいい仕事はAIに任せて、人間は付加価値の高い仕事にシフトさせようと考えたんです。 機械学習を活用して人件費80%ダウン! しかも開発期間は70%ダウン! そのうえ生産コストは年間90億円ダウン! どうだ!これなら会社も文句ないでしょ! 最強の3コンボ、渾身の企画でした。 そりゃぁ、これだけのコストインパクトです、コンサバな会社ですがさすがにこの企画は採用されましたよ。でもね、しだいにあれやこれやで無駄な仕事をアドオンされまくったんです。関係者全員が安心するまで「コレでもか」とセイフティネットを張りまくりました。 せっかくスリム化した仕事がすっかりもとどおり、肥満体に仕上げられてしまいました。 結果、開発者の労役はなにも減りませんでした…。
開発部署なのに、新しいことに対するアレルギー反応がヒドイ。現状維持バイアスが強すぎる。大昔の成功体験の延長でしか仕事を設計できないようです。
この部署は社員の気合いと根性でエンジンを開発を進めたいようです。今までもこれからも昭和スタイル。エンジニアが報われることはない。っていうか、エンジニアが育つ環境ではない。
じゃあ、会社や部署の方針が変わらないなら、デラえもんはそれになじめるのかというと?
ムリだ。
自分でも納得できない業務を部下に強要し続けるなんて…
こんなのもうイヤだ、シンプルにイヤだ。こんなことに人生の大半を時間を投下するなんてウソだ、こんなはずじゃない!…というのが私の心の声。
結論「会社での価値のない労働に意義を見いだせない」
「もっとも残酷な刑罰は、徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ」 ドストエフスキー シベリアで懲役生活を送った彼は言います。 「畑を耕す、レンガを積む、強制された苦役であってもその仕事には目的があった。作物が実り、建物が建ってゆく。自分の働く意味が見いだせるから、苦しくても耐えられた。」 「ところが、たとえば水をひとつの桶から他の桶に移し、またもとの桶に戻す、という作業を延々とさせられたら、囚人は4〜5日で首をくくってしまうだろう。」
人は意味がないことをずっとさせられると壊れます。とても残酷な仕打ちです。
皮肉にも会社での業務効率を極めるために身につけた手法「仕事の本質は?」がきっかけで、会社での業務そのものが無価値に見えるようになってしまいました。
価値が曖昧な労働がたまらなく苦痛。会社での意味の分からない労働を続けていくのはむずかしい。
あとがき
もっと自分が従順な会社員だったら…
もっと自分が不感症だったら…
もっと会社が成長産業で順風満帆だったら…
もっと会社での人間関係が充実していれば…
なんでもいい、何かこの会社で働き続ける強い理由があったならもっと楽だったのかも、とも思います。
でも、気づいてしまいました。
“価値がある”と思えない労働にこれ以上時間を投下することはできません。
さあ会社脱出です。
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