目次
飲み会で感じた違和感
先日、会社の同期と飲む機会がありました。
彼は今も自動車エンジンの開発者として会社に勤めている。
同期:「会社辞めて今は何やってるの?今何に興味があるの?」
私:「自分が本当に楽しい幸福だと思えるものを探して日々悩んでんだよね」
同期:「今お前はいくらでも時間があるんだからやりたいことなんて何でもできるでしょ?やりたいことがわからんってなんか贅沢な話だな?」
私:「例えるなら今私は陶芸家のような生活がしたいと思ってるんだよね」「毎日ろくろを回して茶碗を焼いては“こんなの焼き物じゃねぇ”と叩き割るようなそんな生活がしたいんだよね」「そんな無心に理想を追い求め続けるそんな対象を探している心境なんだwww」
同期:「よくわからないな、理想の茶碗があってそれに永遠に届かないなんて苦痛でしかないじゃないか?」「いつまでも目標を達成できないような日々はつらくないか?」
私:「いや、そうじゃないんだ。理想の“茶碗がある”とか“目標が定義されている”わけじゃないんだよね。もっと言葉にできない漠然とした曖昧とした複雑な幸福感を探してるんだよね、ははは…」
…という会話をしました。
――まったく噛み合いませんでした(笑)
サラリーマン脳の宿命
この会話で私が感じたこと。
彼は典型的な“サラリーマン脳”と言えます。
会社から与えられる「売上10%アップ」や「燃費3%改善」みたいなKPIを盲目的に信じて、手段も期限も予算も全部「決められた中で頑張る」ことを自分の本分と信じて疑わない。
こういう人は、目標がなければ不安になるし、目標が曖昧だと前に進めなくなる。
逆に私はというと、明確なKPIがある時点で興味を失うタイプです。
今思えば私は会社員(開発者)だった頃からそんな社員でした…
「そんなのやれば出来るじゃん」と思った瞬間に労働意欲を失ってました。
「開発者は出来ないことを可能にするのが仕事でしょ?やれば出来ることなんて仕事じゃねぇし」
などと不遜なことを思ってました。
もともと会社員に向いてなかったんでしょうね。
ろくろ回して茶碗を割る人生
私が今やりたいのは、「理想の茶碗」を求めてろくろを回し続ける陶芸家のような生き方です。
焼いては叩き割り、また焼いては悩み続ける。それが無駄だとわかってても、続ける。
理想像があってそれに届かないことに価値がある。むしろ、届いた瞬間にそれは“作業”になるんです。
キーポイントなのでもう一度言います
理想に届かないから意味がある
理想に届かないから自ら創意工夫する、個性を存分に発揮する、そしてその結果に一喜一憂する。そこには誰の評価も入る余地はない。深く深く自分の内面を探り、我がままに理想を追う作業。
そんな活動に心惹かれるんです。
KPIに意味なんてない
KPIを達成するために頑張ってるうちは、幸福なんて来ない。
「KPIがある」=「答えがある」世界で、「達成できるかできないか」に一喜一憂している限り、それは永遠に“他人の人生”なんです。
FIRE後に求めるものは、むしろ“言語化できないものを探す旅”。
なぜそれをやるのか? 理由なんてない。
でも自分の魂がそれを欲してる。
それで十分じゃないですか。
FIREとは人生の再定義である
FIREとは「働かなくても生きていける状態」ではありません。
本質はそこじゃない。
FIREとは「他人の設定した目標」から完全に脱出することであり、自分で“問い”を立てて生きることです。
それを見失って、「FIREして何してるの?」と尋ねてくる人には、いくら説明しても伝わらないのだと感じました。
FIREを目指すあなたへ
これからFIREを目指すサラリーマンの方へ。
ぜひ一度、「自分の時間を何に使いたいのか」を問い直してみてください。
それは出世? それとも投資成績?
それとも、“うまく焼けたら割りたくなる茶碗”を探す旅でしょうか?
KPIで管理される人生から、意味のないことに熱中できる人生へ。
そんな自由こそが、FIREの最大の報酬だと私は思います。
コメント