IKIGAIってなに?
IKIGAI(生きがい)っていう言葉は日本発祥の概念。
アメリカの研究者兼作家のダン・ベットナーが沖縄の長寿の秘訣として「IKIGAI」を紹介したことで、2000年移行に欧米に広く知られるようになりました。
①あなたが好きなこと
②あなたが得意なこと
③社会に必要とされること
④報酬がもらえること
これら①②③④の要素が重なった中心が「生きがい」です。
これらひとつでも欠けると、苦痛が生じたり継続困難になります。
①好きなことで ②得意なことは夢中になれることです。
①好きなことで ③社会に必要とされることがあなたの使命です。
②得意なことで ④報酬をもらうことをプロと言います。
③必要とされて ④報酬がもらえることを天職といいます。
ところが、4つ全て揃わないと「生きがい」にはなりません。
欧米にはこれら“4つを重ねる”という考え方が無かったため、日本人の「生きがい」という概念が真新しく映ったそうです。
サラリーマンの仕事って生きがいですか?
会社員は①好きや②得意が欠けていることが多いです。大企業で分業化が進むと③目的を実感するのも難しくなります。つまり④報酬のためだけに働きがちです。
「生きがい」という概念の本家、日本人は現代社会において生きがいを日々実感しているでしょうか。
過去先輩に言われたセリフがあります。
「会社員の仕事って基本的に苦痛なんだ。人が嫌がることをするからお金がもらえるんだよ。」
妙に納得した覚えがあります。一方でなんか不健全だなとも思っています。
つまり、
「周囲の要望や命令に従って好きでも得意でもないことを我慢してこなすことで報酬を得る。」
…ちょっと健全な働き方とは思えませんね。
そもそも「苦痛を我慢するから、報酬が得られる」という考え方がヘン。 そもそも「周囲に求められるなら、自己犠牲もいとわない」という考え方がヘン。
やっぱ、不健康ですよ。
特に会社員という働き方は④利益追求に特化しすぎていて4つの要素のバランスが良くないです。
会社員としての働き方に「生きがい」を見出すのが難しい。
そもそも従業員は上司の方針に従う立場なので、①好きや②得意は基本的に主張できない。っていうか、好きなこと&得意なことやって必要とされてお金までもらえる?会社員でそんな都合のいい話あるんでしょうか。①②③④がそろうことなんてあるんでしょうか?
…ムリですね。
デラえもんもしがない会社員。好きでも得意でもなく、目的も曖昧な労働を給料のためだけにやってます。かれこれ20年以上。
仕事が生きがいだと思ったことは一度もありません。
多くの人がそうじゃないでしょうか。仕事が生きがいって人って、社会に求められるような才能を奇跡的にもって生まれた超絶幸運な一握りのひとだけの話なんでしょう。
…だとすれば、オレには「生きがい」なんて関係ないね。
…
って吐き捨てて、さっさとお金のためだけに苦痛を我慢する生活に戻るってもいいのですが、せっかくなのでもうちょい掘り下げてみます。
「働きがい」と「生きがい」は違う
特に才能もない凡人ですが、私にも生きがいは見つけられるんでしょうか?「IKIGAI」なんてワードがWikiに乗るぐらいだから一般人にもなんかご利益ある概念なのでは?
会社で「働きがい」を見出して、それを「生きがい」へ昇華するのは無理
デラえもんの場合、仕事にやる気がもてないのは会社での業務が意味ないからだ、という記事を過去に書きました。「目的のない労役を続けると人は壊れる」byドストエフスキー、というお話です。
参考:会社員がツライ理由
つまり今のデラえもんには「③他者に求められている」が欠けています。
で、「生きがい」でもない会社勤めをしているのは言うまでもなく④報酬のためです。他に選択肢がないからで。
余談ですが、
会社で「働きがい」を無理やり見出している職場の仲間を見ると切なくなりませんか。なんか痛々しい。およそ面白くもない業務に、鉛色の職場環境に、無理やり楽しさをひねり出して、働く理由を自分に言い聞かせる。それもこれも、ここで働くしかないから、他に選択肢がないからだと思うんです。
「働きがい」は考え方と気持ちのもち方次第だという意識高い系の社員もいます。もちろん一理ある。しかし、それは心底ホンネですか?会社の「働きがい搾取」に利用されてませんか?
きちんと報酬で報われてこそ本当の「働きがい」じゃないですか?
働きがい
穿った見方かもしれませんが、会社で皆が口にする「働きがい」という言葉には、「自分をごまかそう・慰めよう・そうでも考えないとやってられない」というニュアンスが含まれているように感じます。
①好きなことや②得意なことだけやってりゃ幸せか?
短絡的に好きなことやるだけではすぐに飽きます。(らしいですwww)
ここからは、デラえもんの勝手な想像ですが…
あなたを仕事にしばりつけている④報酬という制約がなくなったらどうでしょう?まずは①好きなことを思いっきりやってみるんじゃないでしょうか。好きな時間に起きて、犬の散歩行って、オシャレなカフェでくつろいで、昼寝して、サウナ行って、などなど。しばらくは、自由を謳歌するでしょう。
でも、人は目的のない行動を続けられません。
何か誰かの役に立ちたいという人の本質的な欲求が首をもたげます。
そしておのずと③社会の役に立つことを模索するんじゃないでしょうか。デラえもんも少し分かる気がします。
デラえもんはまだFIREしてませんが、 社内にいながらにして仕事をミニマム化して自分がいなくてもある程度仕事が回る状態を確保しました。ある意味、窓ぎわ族ですwww。 そうすると、きちんと仕事はまわっているのですが、自分でも自分の存在価値を疑う瞬間があります。私は承認欲求は極端に低いし決して意識高い系でもないのですが、そんなデラえもんでも「誰かの役に立ちたいな」という気持ちが湧いてきます。我ながら不思議な感覚です。 人って、自分で自分の存在価値を常に確かめていたいのかも、なんて思います。
つまり、お金も稼がずに好きなことだけやってるのって社会不適合者。普通の心臓の持ち主には現実的ではない。家族がいればなおさらムリですね。一方で、業務指示で与えられた仕事に「生きがい」を見出すのは難しいが、人には自分の存在価値を自覚できる活動は必要ってことです。
「生きがい」を探すためにFIREせよ
ここで問題は、経済的不安を抱えつつ「生きがい」を模索するなんてムリってこと。
だから、経済的自由は「生きがい」を見つけるためのスタートラインなんじゃないかと想像してます。
というわけで、デラえもんはFIREを目指します!
その先に「生きがい」があるからです。よく言われる「人生を取り戻す」ってのはそういうことなんじゃないかなぁ。
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